夏休み

やりたいことが目の前にありすぎて、7日間もあったのにあっという間に終わってしまった。主に友達と会ってチェロを弾いて酒を飲んでいた。いつもと変わらないけど、それをいつもよりたくさんできるのはうれしい。

休み中はだいたい練習会場にいたのだが、夏休み最終日は小石川後楽園へ行った。死ぬほど暑かったけど、夏が終わる前に夏らしい画が見られて、蝉のうるささも感じられてよかった。あと、森の向こうに東京ドームやなんらかのビルが見えているのがSF感あった。

f:id:nstcm:20160824002101j:plain

アマチュアオーケストラのパンフレットの曲紹介

 アマチュアオーケストラのパンフレットの曲紹介を書くのがわりと好きだ。

 だいたい600字から1500字程度と、考えるのに手頃な長さだし、そんなに有名でないオーケストラなら、パンフレットのプログラムノートに文という体のものがありさえすればよいので、出典やその情報の裏付けを細かく言われず(ていうか誰も裏なんてとらないし)、気楽に書き散らかせる。

 

 そういう文は、なるべくキモく感情的であればあるほど書いていて楽しいし、お客様の開演時間までの暇つぶしになり得ると思っている。本来であれば結論は先に言ったほうが美しい文ではあるが、キモく感情的な結論を受け入れられたかのように読んでもらうには、キモい結論は最後まで隠しておいて、それを導くための論拠をなるべく平易に、一般化して書かなければいけない。

 一番執筆に時間がかかるのはオチ(結論)を言うときであるが、次に時間がかかるのはそのような論拠を書くときだ。まず、論拠となりそうなことを探さないといけない。作曲家の生涯なり、着想のエピソードなりを、スコアの文の隅やネットの海から拾い集める。いかにして筆者の気持ちをちりばめ、薄気味の悪い文章にするか、毎度頭を悩ませている。

 頭を悩ますわりに書くのが好きなのは、書くこと自体がそもそもきらいでない、というのに加えて、わかったようなことをわかったように言って文句言われないからだろうな、と思っている。なにかを言い切るのは快感だけれど、実社会でなにかを言い切るのは手間が大きい。どこかの演奏会の、1000人くらいの手に行き渡る印刷物で妄言を言い切るのは、書く手間以上に快感のほうが大きいのである。

 

 今のところ、私が生涯に書いた文の中で最もキモいのは、ショスタコーヴィチ交響曲第5番のプログラムノートである。キモすぎて今読んでも感激するできばえ。

---

・・・命懸けの交響曲第5番の初演は1937年に、世界でも有数の指揮者、ムラヴィンスキーによって行われました。結果は、大成功。興奮した聴衆たちは、曲が終わる前から次々と立ち上がり、フィナーレには盛大なスタンディングオベーションで迎えられたそうです。プレッシャーを跳ね除け、見事ソ連政府からの信頼も取り戻しました。

 ここで疑問が生まれます。ソ連政府からは気に入られましたが、果たしてそれは、ショスタコーヴィチ自身が本当に表現したかったことなのでしょうか。「人間としての自身の生」「芸術家としての表現」この2つの狭間で、壮絶なプレッシャーとも戦いながら作曲したショスタコーヴィチは、この曲にどのような思いを込めているのでしょうか…。とはいえ、彼がどのような気持ちでこの曲を書いたのか、どのような思いを込めたのか、今となっては知る由もありません。本人の証言はあるものの、時代背景ゆえ、その真偽はわかりません。

 このような事情によって、前述のとおりこの交響曲は、現在においても解釈をめぐってさまざまな議論がなされているのです。華々しいフィナーレひとつとっても、「歓喜と希望のフィナーレ」とする説があれば、それとは対照的に「抑圧された体制の下で無理やりに喜ばされているフィナーレ」とする説もあります。皆様の耳には、この曲の最後が、皮肉のように響くでしょうか、希望のように響くでしょうか、虚構のように響くでしょうか、それとも…

 いずれにせよ、この曲は、ショスタコーヴィチが「人間としての自身の生」「芸術家としての表現」の間で戦い抜いた末の作品であると考えています。解釈は人によって様々ではありますが、本日の演奏で、社会情勢に翻弄されたひとりの芸術家の背中を感じていただければ、団員一同幸いでございます。